カスパル=フォン=ベルグリーズについて語りたい

このブログはファイアーエムブレム 風花雪月というゲームに登場するカスパル=フォン=ベルグリーズというキャラクターの限界オタクである一プレイヤーが、推しであるカスパル=フォン=ベルグリーズについてただ語るという、それ以上でもそれ以下でもないブログです。次第に他のことについても語るかも。

勇将、カスパルの戦争観と死生観

「ここに来るまで何人、顔見知りを殺してきた?」

 

 主人公の選択により、道によっては自らが導くかもしれなかった生徒たちを己で殺すことになる。上記の台詞はファイアーエムブレム風花雪月の本質を正に穿つ言葉だけあって、この台詞が印象に残っている先生も多いのではないだろうか。

 

 しかしこの台詞、発するのは青獅子、金鹿を選んだ時に敵として出てくるカスパルである(主人公やリンハルトで相対した場合は上記の台詞は聞けない)。しかも彼が上の問いを投げかけた後、続く台詞は「全力の喧嘩、いくぜ!」、彼を撃破した時の台詞は「気にすんな......負けたら死ぬ......そういう喧嘩だろ......」である。

 

 なんか......浮いてない?

 知っている人を散々殺してきた相手に憤りを見せるような台詞を吐くのに、その次には自分が本気を出して、正に命を懸けて戦えることを喜んでいるような台詞。死に際は穏やかにも余りある潔い諦めの言葉。最初の台詞だけ見事に浮いているのである。まるで「対帝国ルートで立ちはだかる生徒の誰かにこの台詞を言わせたいもののいまいち適任もいないから、苦渋の策でカスパルに言わせておこう」みたいな雑さを感じる。

 しかし幾周にわたりこのゲームをプレイし、こうして何度もストーリーを振り返ってきた経験から言えば、風花雪月はそういった雑さとは割かし縁遠いゲームである。

 きっとカスパルがこの台詞を言うのにも訳がある......その謎を解き明かすため我々はアマゾンの奥地に......は向かわないが、今回のテーマはこちら。

 

カスパルの戦争観や死生観を解き明かしたい

 

 死生観というと大げさではあるが、要は彼にとっての命の価値とは......みたいなことを色々な台詞から探っていきたいのである。

 

 

 本ブログでは割と繰り返しになるが、カスパルにとって戦争というものは身近な存在であった。士官学校入学したての生徒の中ではトップクラスに戦う覚悟がなっており(というかある種の逸楽を戦場に求めている節がある)、戦場適正は黒鷲においてヒューベルト、エーデルガルトに次いで、フェルディナントやペトラに勝るのでは......くらいにある。盗賊のような悪人であれば、殺してしまうことも厭わない。

 

「これが本物の戦い......! 意外と燃えるじゃねぇか!」

 

 恐らく初めて人を殺した、その反応がこれだもんね。リンハルトやベルナデッタの初討伐台詞の直後にこれを引いたらプレイヤーがドン引きすること間違いなし。五年後に解禁される彼の外伝でも、敵を殺すつもりかと問われて「駄目なのか?」と返すので、悪い奴はとりあえず斬る! という精神が窺える。

 戦場に出るからには命の覚悟は出来ているのだろうというのが彼の主張であり、それは勿論彼自身も例外ではない。味方、敵時問わず死亡台詞はただ自分が弱かったこと、相手が勝ったことを淡々と受け止める爽やかな最期であり、自分を討った相手、自分を失う仲間に気遣うような言葉さえ遺すのは身をもって「戦場とはそういう物だ」と教えているかのよう。

 では、そうまでして彼が戦う理由は何なのか。元々カスパルは、戦場で武功をあげて名をあげなければ生きていけない立場の人である。しかし五年後では、特に自ユニットとして使用するときは顕著になるが「仲間の為の戦い」を強く意識するようになる。瀕死時は「ギリギリまで戦って、少しでも勝利に」、レベルアップ時は「俺が強くなりゃ、みんなも楽になる」、主人公との支援会話では戦場に出るようになって自身の正義と仲間の身の危険との葛藤で悩む姿を見せるように。仲間思いで軍の中の一人、としてのカスパルが明確に描写される。

 

 では、改めて冒頭の台詞に向き合ってみよう。

 カスパルは戦闘の末自分が死ぬことを恐れないしその事実に怒りも見せない。彼もまた戦場で沢山の命をノリノリで奪ってきた以上、相手のそういった行動を批判できる立場にない。

 しかし「仲間の死」に関しては怒りを抱えずにはいられないのだ。彼がペトラと反対の立場であれば親の仇を許せない、としきりに言うのも似たような側面があるのだろう。「自分のあずかり知らぬところで大切な人が死んでしまうことが許せない」というのが私が導き出した答えである。

 例えば黒鷲にはベルナデッタやドロテアのように本来戦場とは縁のない人物も存在する。なにより彼の幼馴染のリンハルトは血を見ただけでグロッキーになる戦場非適正人物だ。同じ戦場にいたのなら、カスパル自身が強ければ仲間を守ることもできるだろう。それが適わなかったなら、その責を自分に負わせることもできる。だが、自分の知らないところで失われた命に関してはそうもいかないカスパルはそれが許せない。冒頭の台詞は、そんなやるせなさが彼から吐露された、その瞬間なのだと思う。次の瞬間には目の前の戦闘に集中する、喧嘩好きのカスパルに戻る。故に冒頭の台詞のみが浮いて見えるのだ。

 

 

どこまでも貴族の次男

 

 どうにもカスパルを見ていると、彼が自分の命の価値を随分と低く見ているような気になる。何も継がないだけ身軽であり、まるで自分の死が大局に影響を及ぼさないと見ているかのような......だから咄嗟に命を懸けるような真似もしてしまう、無茶もする。リンハルトが彼に「生きてほしい」と切に願うのも納得の危うさだ

 反対にカスパルにとって他者の、仲間の命は重い。「戦場で死ぬことに意味を見いだせない」と語り、己もまた「生きたい」と願うリンハルトの隣は、そういった意味でもカスパルにとって居心地がいいのだろう。