カスパル=フォン=ベルグリーズについて語りたい

このブログはファイアーエムブレム 風花雪月というゲームに登場するカスパル=フォン=ベルグリーズというキャラクターの限界オタクである一プレイヤーが、推しであるカスパル=フォン=ベルグリーズについてただ語るという、それ以上でもそれ以下でもないブログです。次第に他のことについても語るかも。

カスパルは諦めの人である

「単純に努力が好きで、強くなることが好きで、そして諦める事を知らない」

 

 これはカスパル・エーデルガルト支援Aより、エーデルガルトがカスパルに直接話した彼の人物像である。昨日ダラダラとカスパルについて語ってはみたが、思えば彼の主たるエーデルガルトのこの言葉にこそカスパル=フォン=ベルグリーズの本質が詰まっているような気もする。誰よりも純粋で、誰よりも強さに貪欲な男、それがカスパルなのである。

 

 さて、カスパルという人物の在り方を再認識したところで、本日のテーマはこちら。

 

カスパルは諦めの人である

 

 早速の矛盾である。エーデルガルトに喧嘩を売っているとしか思えない。しかし私が思うに、カスパルというキャラクターのテーマの一つに「諦め」というものが確かにあるのだ。まずは私がそう思うに至った原作のカスパルの台詞の数々を紹介したい。

 

 

「一方だけを殴るってのは、俺はちょっとやだなあ」

「でも、そうは問屋が卸さねぇってのは分かってるぜ」

 

 第一部五章、「黒風の塔」探索会話での台詞、主人公の学級が英雄の遺産を盗んだマイクランを討伐することを命じられた章でのカスパルの台詞だ。今度の件を「親子喧嘩の様な物」と認識し、どちらか一方を外から叩くのは嫌だ、という彼の正義観が表れる場面である。選択肢によっては「(どちらが一方が悪くても嫌なのかと問われ)悪いかどうかは俺が決めてぇ!」と、話を聞いただけでどちらか一方を悪と決めつけない姿勢も見られるが、だからといって自分一人の意思でどうにかできる問題ではない、という事実を理解している様子が描かれているのだ。そうは問屋が卸さないという言葉を知っているのとても偉い。

 

「おーい、急に話がデカくなったな…...まあでもそう簡単に変わらねえだろ?」

 

 エーデルガルトとの支援会話Bより、エーデルガルトが現在の貴族制度を痛烈に批判した場面でのカスパルの台詞である。この支援会話でエーデルガルトはカスパルの兄に対しても苦言を呈し、カスパルも自身の兄の「努力もしない、強欲、自分が家を継ぐことを信じて疑わない」といった側面を認めているが、そのうえで過去の出来事から兄の性格を「しかたない」と受け入れている。自身の家のことも、世界を取り巻く貴族の風習も、「仕方ない」。それがカスパルの考え方だ。反対にエーデルガルトはカスパルが諦めてしまう、途方もない世界の理をひっくり返そうと本気で考え、後にそれを実行に移す。その時にカスパルが彼女についていくのか、敵対するのかはプレイヤーの選択次第である。

 

「オレが死ぬのは、オレが弱かったせい。だから、気にすんなよ......」

「気にすんな、負けたら死ぬ......そういう喧嘩だろ......」

 

 いずれもカスパルの死亡台詞。上が自ユニット時、下が敵対峙。こう書き起こすだけでも胸が痛い。

 台詞のニュアンス自体はどちらも同じ、「オレが死んでもお前が気にすることはねぇ」である。今際の際に生への執着も未練も一切見せやしない。きっと「自身の死に場所は戦場である」という覚悟が決まっているのだろう。そもそもカスパルは瀕死時の台詞からして非常に危うい。二部では「ギリギリまで戦って、少しでも勝利に」と退くことを考えやしないし、一部に至っては「あぶねぇぁ......いや、まだいける」と引き際を分かってさえいないような言葉を吐く。同じ学級のリンハルトやベルナデッタは同条件で撤退を切に求めるし、ペトラは活動限界、フェルディナントは追い込まれていると認識、ヒューベルトに至っては死を覚悟する局面でのカスパルの台詞が「まだいける」。いけるか馬鹿、退けカスパル

 

あいつだって、わかってるさ!わかって、戦争を始めたんだ!」

 

 銀雪の章、19章「交差の結末」での台詞。遂にエーデルガルトと戦うことになる場面で、カスパルの台詞の中でもかなり熱の籠った、切実な叫びである。カスパルは軍人の息子だけあって旧友を討つことに抵抗を見せる場面は少ない。叔父のランドルフとの敵対も「そこまで思い入れはない」とだけあってあっさりしたものである。エーデルガルトに対しても「今ならあいつをぶったおせる気がする」など物騒な発言が見られたりもしたが、いざ交戦となるとやはり思うところがない訳ではないらしい。彼女と同じ道を辿らなかったカスパルの、彼女の決断に対するやりきれなさを感じられる場面だ。

 

 

 以上のように、カスパルの発言には、彼のイメージとは裏腹に「仕方がない」といった諦めのニュアンスの入った言葉が多く見られる。こういったカスパルの価値観はやはり彼の生まれ育った環境に起因するのだろう。

 繰り返しになるが、カスパルベルグリーズ家の次男、家の相続権を持たない貴族である。紋章も無く、生まれながらにして家の相続、安定した未来を諦めざるを得なかった身。成長して以降本人はそのことを苦に思いはしないが、本人もエーデルガルトとの支援で「もしかしたら最初は違ったのかもしれねぇ」と語っている。

 そして次男であること以上に彼に強くのしかかるのは、誰よりも絶対的な父の存在。カスパルは本編中にもあらゆる場面で「親父とは戦いたくない」と述べている。ある程度彼が成長し、言動も大人びてきた第二部においてでもだ。その理由が「親子の絆とかなしに、純粋に恐ろしい」「魔物の方がまだいい」といったもの。絶対的に敵わないという、カスパルの諦めの側面が全面に出ているのがこの父の存在なのだ。

 武で生きていくと決めたカスパルには、どうしたって敵わない父の存在が常につき纏った。仕方がないこともあるという価値観はこういった環境から産まれたものではないかと私は想像する。最も、努力が好きでそれを続ける根性もあるカスパルが一切の諦めを知らなければ、無限に努力を繰り返し無謀な挑戦を繰り返し、きっとどこかで破綻していたと予想できるので、結果的にはそれでよかったのだとも思うが。

 

 

カスパルは諦めない人である

 

 ここまでの文で「なるほど、確かにカスパルは諦めの人間なのだ」と同意していただけたかは分からないが、何はともあれカスパルと諦めは密接な関係があるというのが私の主張だ。なら、頭のエーデルガルトの「諦める事を知らない」というカスパル評は間違いなのか。

 

 断じてそんなことはない。

 

 矛盾である。皇帝に媚びを売っている。だがしかし、やはりカスパルというのは諦めを知らない人間なのだ。

 ここまでの主張を全く矛盾なく押し通すとするならば、「カスパルの諦めは全て無意識のものであるのだから、カスパルが諦めを知らないというのもまた是である」とでもすればいい。全くない話ではなさそうであるが、別にそれに関してはどちらでもいいのだ。多少の諦めは知っていてもいい、カスパルという男はそれ以上に「諦めない」を体現する男なのである。

 

 例えばカスパルは、次男で何も残らないという身でありながら、自分の身をたてるということを諦めない。そのための努力を際限なく続ける人であるというのは周知の事実だろう。リンハルトとの支援では自身より背の高い相手に数度と負かされたカスパルがそれでも諦めず、自身に不向きな策をも身に着けて遂には打倒するその様が描かれている。先述の戦闘時の台詞でもそうだ。第二部においてカスパルは、瀕死状態になってもなお戦闘を続行することを望む。「オレが強くなりゃ、皆も楽になる」(二部レベルアップ台詞)など、二部のカスパルは仲間の為の活躍にこだわる台詞が見られ、前述の瀕死時台詞は「自身の生へのある種での諦め」と「仲間と共に勝利することへの執着」が混じった台詞と見れる。

 諦めることと、諦めないこと。そのどちらもがカスパルを語る上で欠かせない事。時には一つの台詞一つの場面にその両方をのぞかせながら......そういったことを意識して、カスパルは描かれているのだと、私はそう思うのだ。

 

 

おまけ・・・幼馴染との対比

 

 カスパルを語る上で欠かせないキャラクターがいる。リンハルト=フォン=ヘヴリング。黒鷲の学級の一員でカスパル幼馴染だ。上記にも彼との支援会話に少し触れたが、彼については後々より深く振れる機会もあるだろう。本日は、今回のテーマ「諦め」と絡めて、カスパルとリンハルトの対比について少し語りたい。

 

 何を隠そうリンハルトは「諦めの悪いキャラ」として意識的に描写されているのである。嘘、あんなに怠惰な風なのに!? と思った方もいらっしゃるかもしれない。ただ、リンハルト最推しといった方にとっては反対に「どうしてそんな当たり前のことをわざわざ言うのか」と思われているかもしれない。まあまあ、とにかく聞いてほしい。

 

 銀雪の章でいざエーデルガルトと戦うという場面、カスパルは切なる思いを滲ませながら「あいつだってわかってるはずだ」と叫ぶ。その後、リンハルトはいつもの豹々とした雰囲気で「ま、級友の誼だし......無駄になってももう一度くらい説得してもいいですけど」と口にする。リンハルトもまた、紅花の章では「学友に思うところはない」と口にするなど、とにかくマイペースな男であり、更にめんどくさがりとして描写されている男であるが、そのリンハルトがエーデルガルトに対し「説得してもいい」というのである。激情と共に討つ覚悟を叫ぶカスパルと、ただ彼らしくエーデルガルトを討たずに済むならそれが一番いいと話すリンハルト。ああ、美しき対比である。

 好きな物にはとにかくまっすぐなリンハルトは、紋章や特殊な能力を持つ複数のキャラとの後日談で、幾年の時を経て彼女らが持つ問題を解決したと書かれている。リシテアとの後日談では明確に「(リシテアの紋章の問題について)諦めるつもりのない」と書かれ、コーデリア家にまで押しかけている。リンハルトが諦めの悪い男であるということは間違いないだろう。

 カスパルとリンハルトの支援会話Aで、カスパルはリンハルトに「互いの正義がぶつかっても俺たちは争わない」という約束を持ちかける。それに対しリンハルトが返すのは「共に生き残るという約束ならしてもいい」。カスパルが求めるのが争わない、共に戦うということであるのに対し、リンハルトが求めるのは「生きること」。例えば死地の中で二人息が絶えそうな窮地に、相方の背中を力強く押し奮い立たせるのはリンハルトの側なのかもしれない、などと思ったりするのである。